大概にしろ

私は自分にそう言いたい。

ミニマリズムに魅せられて多くのものを手放してきたが、全てが手放して正解だったわけではない。
冷蔵庫、電子レンジ、ガラス製の保存容器、調理器具、クイックルワイパー、電動のエチケットカッター、Nintendo Switch
何度か手放したり買い直したりしたもので思い出せるモノだけでもこんなにある。
もちろん買い直してそこからは定着しているモノもある。
ただほんの一握り(物理的にも)。

大学卒業までマキシマリストだった私は何でもかんでも保存しておく性分だった。
電化製品の外箱だけに飽き足らず、HDMIケーブルの入っていたブリスターパックとかも保存していた。
だから、こんな風に売ったり買ったりを繰り返すようになったのは最近になってからだと思っていた。

実家に帰ったときに買い直した冷蔵庫がすでに要らなくなっているという話をした。
母に「昔からそうだったよね」と言われた。

意外だった。ただ言われてみれば確かにその通りだった。

Nintendo DS全盛期に小学生だった私。おいでよどうぶつの森が大ヒットしていた頃、例に漏れず私もソフトを買ってもらった。
しばらくすると周りの友達は飽き始める。つづいて私も飽きる。
飽きるとソフトを売って新しいソフトを買う資金にする。
ただ細々とおい森を続けていた友達を見てまた欲しくなる。
飽きる。その繰り返しだった。
記憶しているだけで五回は売った。

この頃から必要のないときには手放し、必要なときにまた手に入れていた。
おいでよどうぶつの森だけ。

私が一度手放したものは、結局「無くても一切困らない」が「あると便利」がほとんどだ。
大学生くらいからゲームに集中できなくなったのでもうゲーム機は買わないし、
料理も一過性の「やりたい」だけだから道具を揃えないし、
電子レンジも後々「いらなくなりそうだな」と思いレンタルにした。
(一ヶ月利用してすでに要らなくなっているが、後五ヶ月の最低利用期間がある)

こうやって記録しておけば一過性の「欲」に負けて後からストレスを感じること無く暮らせるのではないかと思い、ここに記す。

大概にしろ。