自分に問うてみる。
A:主観的に見た時、私はミニマリストではない。
客観的に見た時、私はミニマリストである。
これじゃああまりにもつまらないので、
私がミニマリストである(と思われる)理由 3点
・飽きっぽいから
・責任と不安を減らしたいから
・すべてを手の届く範囲に収めたいから
・飽きっぽいから
私は元来飽きっぽい。その時々で趣味関心と生活スタイルが変わる。
生活スタイルの変化に伴い、幾度となくモノの入れ替えを経験してきた。
スタイルが変わっても残留するモノだけに段々となっていく。
今はプレーンの人生に趣味関心に基づいたモノを一つや二つプラスするくらいだ。
・責任と不安を減らしたいから
「モノ」があれば「責任」も着いてくる。
車を所有していれば、車に関する法で裁かれる可能性は0ではなくなる。
だが車を所有していなければ可能性は0だ。
もちろん車だけではない。丸腰の人間に抵触する法の他に抵触する法が増えてしまう。
ならば所有するものは少ないほうがいい。
常に丸腰で有ること。社会に出た時それが「責任」から逃れるために大切だ。
以下は私の「モノ」と「不安」の関係だ。天秤にかけて「不安」のほうが重ければ所有したくない。
車。いたずらされないか。盗まれないか。…
冷蔵庫。停電で中の食べ物が駄目になってしまうかもしれない。掃除が手間だ。…
「責任」と「不安」のない、いつでも逃げられる状態でいることが精神衛生上とても良い。
・すべてを手の届く範囲に収めたいから
コレが今の本位かもしれない。
私が持っているモノは会社貸与品などを除き、大切なモノだ。
殆どのものが一日一度は私の手に触れ、季節用品もその季節になれば一日一度は私の手に触れる。
私は手の届く範囲のモノしか認識できない。すべてを把握し理解し、愛したい。
愛するものは近くにいたほうがいい。そうだろう。